ヒトラー生家に警察署を開設、ナチスの聖地化を防ごうと オーストリア

オーストリアの警察官たちが、白い建物の前に整列している

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画像説明, 新警察署の開署後、警察官たちが建物の外に整列した
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ベサニー・ベル記者(ブラウナウ・アム・イン)

オーストリアの警察当局は22日、北部ブラウナウ・アム・インにあるアドルフ・ヒトラーの生家に警察署を開設した。

17世紀に建てられたかつての宿泊施設は長年、その使い道について論争を引き起こしてきた。ナチスの独裁者ヒトラーは1889年4月にこの場所で生まれた。

現在、建物は大幅に改修され、外観も変更されている。たが、ネオナチの巡礼地となることを阻止したいオーストリア当局にとっては、大きな頭痛の種となっていた。

ヒトラーはこのザルツブルガー・フォアシュタット15番地に数週間しか住んでおらず、家族はその後、ブラウナウの別の住所に引っ越した。ヒトラーが3歳の時、一家はこの町を去った。

ヒトラーは、オーストリアをナチス・ドイツに併合した後、ウィーンへ向かう途中の1938年に、一時的にブラウナウに立ち寄ったことがある。

同じ場所に建つ建物を、向かいの道路から同じ角度で撮影した写真が2枚並べられている。左側は3階建ての建物で、外壁は黄色く、アーチ形の窓枠が白く塗られている。右側は4階建ての白い建物に変わっており、窓の形なども違う

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画像説明, この建物はかつて黄色いしっくいで塗られていた(左、2015年撮影)。だが大幅に改修され、外観は大きく変わっている(右)

22日の警察署の開署式では、警察の楽隊がチューバなどの金管楽器を演奏し、ゲルハルト・カーナー内相ら要人も出席した。

カーナー氏は、オーストリアは過去の「恐ろしい遺産」に対する「責任」を負っていると述べた。建物の活用方法を決めるのは容易ではなかったものの、警察署の開設がオーストリアにとって「新たな章」の始まりだと考えていると話した。

「この家はこれから、民主主義、法の支配、安全、自由、そして人間の尊厳の場となるだろう」

その後、カトリックの警察付け司祭が、新しい警察署に飾られる2本の十字架を祝福した。

オーストリア内務省はかつて何十年にもわたり、この建物を地元住民のゲルリンデ・ポマー氏から借りていた。極右の観光地として利用されるのを防ぐため、内務省は同氏に高額の賃料を支払っていた。

2人の警察官が、壁にドイツ語で警察の標識が掲げられた白い建物の外に立っている。

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建物は長年、地元の慈善団体が、特別な支援が必要な人々のための通所施設兼作業所として使用していた。しかし、ポマー氏が改修工事を拒んだため、2011年に移転を余儀なくされた。

ポマー氏はまた、この物件の政府への売却を繰り返し拒否していた。

当局と同氏が契約条件をめぐって争っていた間、建物は空き家のままだった。

オーストリア議会は2016年、政府がポマー氏から家を没収することを認める法律を可決した。政府は同氏に81万2000ユーロ(現在のレートで約1億5000万円)の賠償金を支払った。同氏は賠償額が少なすぎるとして政府を提訴したが、敗訴した。

白い建物の前に四角い石碑が立てられており、ドイツ語で碑文が刻まれている

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画像説明, 建物の外にある記念碑には「二度とファシズムを許さない。数百万人の死者を追悼して」と刻まれている

当時のヴォルフガング・ソボトカ内相は、建物を取り壊して新しい建物を建てるべきだと述べた。これは、以前ロシアの議会議員が、この家を買い取って爆破したいと申し出たことに似ていた。

しかし、これには激しい批判が巻き起こった。多くの人が、この家を破壊することはオーストリアのナチス時代の過去を否定することに等しいと述べた。

2019年、政府はこの建物を警察署に改築する計画を発表し、欧州連合(EU)全域の建築家から設計案を募集した。また、数百万ユーロをかけて改修を行い、古い黄色い建物は以前とは全く異なる外観になった。

内装・外装ともに白く塗装された現在の建物には、光沢のあるオーク材の木工細工がふんだんに使われている。一方、古い螺旋(らせん)階段とアーチ型の玄関ホールはそのまま保存されている。

新設された警察署のルートヴィヒ・ハイゼ署長は、このような「素晴らしい近代的な建物」で仕事ができることを喜んでいると述べた。また、「以前より広いスペースが確保できたが、それ以外はオーストリアの他の警察署と何ら変わりない」と語った。

警察署の開設に誰もが賛成しているわけではない。中には間違ったメッセージを送ることになると主張する人もいる。

ナチスの過去と向き合う責任の中心地として、この家が活用されることを望む人もいた。一方、地元の歴史家フロリアン・コタンコ氏のように、かつてこの場所で活動していた慈善団体レーベンスヒルフェが復活することを望んでいた人もいる。

「しかしあの慈善団体でさえ、政治的な議論の隠れみのとして利用されることを恐れて、戻ってこようとはしなかった。そのため、政府は別の方法で決断せざるを得なかった」と、コタンコ氏はBBCに語った。

建物には、その歴史を示す看板は一切ない。また、ネオナチの巡礼者とみられる人物の行動を記録するための監視カメラが設置されている。

ヒトラーとの関連を示す唯一の証拠は、1989年に建てられた、建物の外の路上にある石碑だけだ。そこには「二度とファシズムを許さない。数百万人の犠牲者を追悼して」と刻まれている。

石碑に使われた石は、近くにあるマウトハウゼン強制収容所跡地から運ばれてきたものだ。

石碑にヒトラーの名前は出てこない。しかし前出のコタンコ氏は、ネオナチの訪問者が減ったとしても、この場所の歴史は決して消えることはないと考えている。

「私たちはその歴史に対処しなければならない。だからこそ私たちは皆、オープンかつ正しい方法で対処しようと努めている。プライドの問題ではなく、事実にどう対処するかということだ」